特になにもない
今日は1日ひまである
というのも静岡に向かうはずだった金曜日の夜の私が、職場に財布を忘れた状態でバスタ新宿に辿り着いたからだ。
乗車前に夜ご飯を食べる時間はないなあ、美味くて高いパン買っちゃうか!つって、うまそ〜〜な洒落腐ったチーズドックをお盆に乗せる。パン片手にウキウキで並んだレジ列、速攻で財布が無いことに気付く。
静かにパンを戻して、30秒くらい大慌てでバッグを漁る。 無い! そんで30秒くらいすごい落ち込む。ああ私はまたもうこうやって……。まだ出発時刻じゃないから払い戻ししてもらえる……と切り替えてSuicaでパンを買った。
社会人になってから珈琲を削る音と匂いで目が覚めるようになった。
最近は思う。なるべく早く起きたほうがいい、いつ起きたって夜はねむたくなるんだから
何もない今日の目標はカレーを食べに行くこととした。
昨晩はきちんとお風呂に入ったし、外出のハードルは低い。カレー屋のラストオーダーは14時半。14時になったら焦ろうと決め、油断してポケモンに熱中する。
はねやすめ遺伝の夢ココガラが出来たので嬉しい。タワーもマスボ級になって嬉しい。だけどやっぱりおくびょうミントは手に入らなくて、ダブルバトルに挑戦。これが案外たのしくて
表の安売棚を見ていると必ず店主さんはこっちを気にする、万引きとかの注意という感じでもなく、気が散っている感じ
気になるなら表の本棚の位置かえればいいのに〜とおもう。よく内装は変わってるから。
レイアウトは変わってる割に本はあんまりかわらない。2週間に1回も来てないけど変わらんもんだな。セミナーばっかりやってるしなあここ。
チョンチョングァンの鯨はいつ入荷するのかしら。面白かったから新刊でほしくて買うなら西荻窪だし、西荻で韓国文学買うならここだねって決めてるんだけど。
じゃあ別の古本屋。匂いがたまらなく好き、ミシミシいう木の床もすき
越してきたばかりのとき本の回転の早さににおどろいた
しばらくあと、横沢さんがここの本屋はとても強い古本屋だといっていたのが印象強い、横沢さんが強いというなら強いんだろうな…とおもった
古本屋を出て帰り道にある喫茶店に寄る気満々で歩く
途中で あ、タバコ忘れたな、買わなくちゃ と思って、思ってからすぐ、あそこ禁煙になったんじゃんって思い出す
ラッキーなような寂しいような
喫茶店に入る、ここの喫茶店には座り心地が普通よりも良い椅子が1つもない。その中でも特に悪い囲炉裏ゾーンしか空いてなくて、まあ折角だしなと座ったことのない位置にしてみた。
しんどいなと思いながらここまで打ち込んだ。
雨が降っても楽しいね
土曜の朝は二日酔いでクラクラ。
運動会がなくても寮に差し入れをしに行くという友人からの電話で目を覚ます。
今日は元々、4年間を過ごした大学寮の運動会に赴いて、差し入れをしに行く予定だった。だけれど生憎、雨が降ったら中止。
本当に来ないの?と何度も聞かれたが、外で運動会をやれない状況、楽しくするのに必死だろうから、在寮生だけでやったほうがいい。とおもう。OBOGが居るとダラダラした飲みになっちゃったりするからよくない。のでいかないと決める。急いで家出ても、電車に乗ったら吐いちゃうな〜と思ったのが、本音。
昨晩は、明日は可愛い後輩たちがずっと楽しみにしてきた運動会。晴れを願うためには神聖な酒を飲まなきゃな、と1人で居酒屋に行った。正直、雨が降ったら早起きしなくて良いし、1人で飲んじゃえ、という気持ちが5割くらい。
居酒屋は絶対に楽しい。美味しい楽しいありがとう!ニコニコでお会計。
2杯3品で1000円。良いお店だ。
ほろ酔って店を出ようというところで、常連さんに声をかけられた。
私が座っていたのはカウンター。右に3人並んで楽しそうに話していた人たちだ。
「あなたはここ、何回目?」
「5回目くらいです」
「時々来ているのね、私たち3人とも1人で来たのよ。たまたま会っただけ!あなたと同じよ。」
3人とも私と同じだったらしい。同じ?
何飲む?と聞かれ、あ、今お会計しちゃったんです、と返すと、デカい声で
「店長!!!この子にさっきと同じの〜!!んでお金は私に付けて!!!」
と叫ばれて引くに引けなくなった。
この辺りから記憶があいまい。
楽しかった。私のために出してくれたお酒を飲まないわけにはいかない。飲まされるのが大好き。何を話したかほとんど覚えていない。
酔うと電話がしたくなるけど、家に帰ってから電話で話した内容も全然覚えていなくて申し訳ない。電話を切った回数で、吐きに行った回数がわかるので、笑ってしまった。
人に飲まされてベロベロになるのは久々で、とっても気持ちよかった。
朝、LINEを開くと、ともだちに知らないおばあちゃんが増えていた。
ダラダラ電話をしながら、ゴミを出したり、珈琲を挽いて煎れたり、ドーナツを食べたりする。
元気が出てきて、かなり前に19日に西荻で用があるから遊ぼうと友人に誘われ、運動会を理由に断ったのを思い出す。
まだ予定を変えてないか尋ねてみると、行くから遊ぼうと言ってくれた。
人と約束をすると、確実に家を出られるから嬉しい。
なんとなく湯船を沸かしてみる。
二日酔いなんてものは、湯船に浸かればすぐなおる。防水のスピーカーを持ち込んで湯船で歌っていたら、瞬く間に絶好調になった。
髪を乾かして、新しく買ったシャツに袖を通す。
1度も洗濯されてない服は独特の匂いがしてすき。
友達が来るところは随分北だった。
自分の家より北にはあんまり行ったことがなくて、色々な発見がありそう。
友達は昆虫食のセミナーを聞きに来ていて、なんとなく入り辛かった私は、コオロギパスタなるものをもらい、それだけ食べて辺りを散策。
初めて存在を確認する古本屋に入る。
「ここは図書館のような古本屋です。探している本はありますか?書いていただければお探しします」
感じがよく清潔な50くらいの女性が説明してくれて、紙とペンを差し出してくれる。
「えっと、」少し戸惑ってから、「あ!」思い出して、読書メーターの読みたい本と友人との本の勧めのやりとりを見返す。3冊書き出してみる。
こういうとき、何故だかいつも手が震えてしまって、10つめの文字くらいまでふにゃふにゃと丸くて震えた変な字を書いてしまう。直したい。
女性に紙を渡す。パソコンで調べてくれる。
「◯◯さんの本は、置かれていたことがないですね。◯◯さんの本は、「」や「」など置かれていたことはありますが、今ここにはないみたいです。ごめんなさいね。」
申し訳なさそうに、丁寧に教えてくれた。
それを聞きながら、はじめて女性の顔をまじまじと見た。きれいに青いアイシャドーがおかれたくっきりとした二重。職場に似たような上司がいるのを思い出す。あの人もよく青を目の上に載せてるな。このくらいのお年の、すっきりしたお顔の方には青が似合うのかな?
店員さんは、明日、すぐ隣でガレージセールなるものをやることを教えてくれた。そこになら欲しい本があるかもしれないからぜひ来てね、と。良い街だ。
本がなかったことにはそれほどガッカリしない。まあまあ長い間、古本屋に行くたび探すけど見たことなかったし、そんな簡単に出てこないわよね、と思う。
探してる本は、突然目の前に飛び込んでくるものだし、それが古本屋の良さだと思う。
そういう、ぼんやりと探しているものがいつでもいくつかあると良い。本みたいにタイトルがあったり形があったりしなくてもいい。
あ、これは私が今必要としていたものだな、という直感を得たときは、生きている感じがする。
そういうものとは何度か巡り合う機会があるはずで、それを見逃さないようにすることには注意を払う必要がある。
考えながらお気にの古本屋へ向かう。
朝日テレビの記念ZIPOOが300円だったので買ってみた。
店主のおじいちゃんの長い話をウンウンと聞く。いつもケータイ灰皿とか、変な小物をくれるおじいちゃん。
途中でポッケが震えてるのに気付くけど、今わたしは恐らく人を嬉しい気持ちにしているのだし、友達にはちょっぴり待っててもらおうと思う。
友達と合流してポケモンカードをしたり、アニメのポケモンを見たり、土日しかやっていないご飯屋さんに行ったりした。
ご飯屋さんではお芋と豚肉のかき揚げ定食を食べた。かなり美味しい。
小鉢のポテサラも美味しい。マヨネーズに頼らないポテトサラダには本当に感謝している。
それから、お味噌汁に三つ葉が入っていた。三つ葉を味噌汁の具に選ぶセンスだけで、そのお店を少し好きになる。
お汁が少しお吸い物ぽい。キノコの香り。
ンマい!
明日は何をしようかなあ
何にも決めてない!何にも決めてないから存分にゲームをして眠ろうと思う。
あったか〜いのお茶を買った
私があったか〜いのお茶を買ったのは、今日が人生で2回目。
真冬のディズニーランドで雪が降った日以来だ。
あの時は高校生で、上はダッフル着込んでるのに下はバカみたくスカート折ってた。みんなで震えながら200円もする小ちゃい紅茶花伝を交代で抱きしめたの覚えてる。
今日は体調が悪い。
本能でわかる、今日の私は身体を冷やしてはいけない。
恥ずかしい、他人に置き換えると全くそうは思わないのに、自分の体調不良を恥ずかしいと、おもう。
そういう気持ちはあんまりいらないな、と思い直してツイートする。Twitterは自己暗示のツール。
ああでもやっぱり「あったか〜い」を買うのは恥ずかしい。なんて考えながらも、ちゃっかり1番すきなほうじ茶を選んで、目にも留まらぬ速さでチョコレートをとってきてお会計。チョコとほうじ茶で薬を口に押し込む。駅のホームで薬飲むなんて。そういうのはダサいよっていう青い気持ちと、あらまあすっかり社会の歯車になっちゃってっていう自傷っぽい快感と一緒くたにして飲み込んだ。
電車の乗り換えで人とぶつかってお茶を落とす。「あったか〜い」の文字が転がる。去ってゆくぶつかり犯の背中を睨みながら、私の人生にはあったか〜いのお茶も薬も要らない、と思う。
コンビニに寄ったせいでギリギリの電車だったから座れない。しかも本を忘れたようだ。これはショック。友達のブログを読み返す。
隣のおじさんが繰り返しズビズビ鼻をすする音に我慢ができなくなってくる。
揺れる度に体が触れるのも不愉快だ、とふと左を一瞥すると彼は手すりにつかまっていない。こういう人もいるんだよな。私のともだちがこういう人だったらどうしよう、指摘して変えられるのだろうか?
曲を進めてイヤホンの音を上げる。
ダメだ、iPhone付属のイヤホンじゃなにもキャンセリングできないんだった。
右隣の人にきっと迷惑だなと思って、音量を元に戻す。
友達のブログに集中する。
気に入ったフレーズを頭の中で繰り返す。
友達の顔を思い浮かべて、言っているところを想像する・・・
左から聞こえるズビズビが気になる、気になるなと思っていたら、あろうことか、視界の端で鼻をほじって指についたものを床に捨てている様子を観測してしまう。
大声をあげたくなる、が耐える、ぎゅうぎゅうの電車だけれど、何とか少しの距離をとる。
地下鉄なのに差し込む光で、次は人がたくさんおりる駅と気付く。
チャンス。
目の前の人が降りる、左の人に露骨に譲る。すると座ってくれた。でかした。
初めて正面からおじさんを見てみる。
ワックスで髪を固めていて、肌が綺麗、思っていたより若いかも。お兄さん?
ワックスで髪を固めていると言うことはみられかたを気にしていると言うこと。
どうしてこんな風に電車に乗るんだろうと考える。考えても分からなかったし、降りる駅が同じだった。
二駅だけでも座るタイプか
混んだ電車で変に座ることを遠慮する奴よりもすきだ。
お兄さんのすきなところを1つだけ見つけられたからよかった。
考えていたら薬が効いて体調がよくなっている。嬉しいな、袖を捲って、そのままの動きで腕の時計に目をやる。
時間がギリギリだ!走るぞ!
走れるようになってよかった、走るのは気持ちがいい。やっぱりお薬は、要るかも。
昼休みが終わってしばらくして、薬が切れているのを感じる。8時半ごろに飲んで、今は13時すぎ。4時間半。つまり今飲めばおおよそ終業で切れるとみた。考えながら飲み込む。
少しすると、頭の後ろの方に押さえ付けられるような、沈み込むような、鈍い感覚を覚える。
単純に不愉快と分類してもいいようなものだが、なによりも、きもちがいいなと思う。
体調不良の当事者になれる喜びがあって、人間用の薬をしっかり受容する器官が自分の中にあることに感動してしまう。
朝はたくさんチョコレートがほしくなる。
糖分がないと脳が動かないなんて小難しいことは後。生きているから朝にチョコレートが欲しくなる。そういうことだと思う。どんなこともつながりが分かると嬉しいし、自分で発見したことは全部尊い。
誰がなんと言おうと、私が、朝はたくさんチョコレートが欲しくなることの第一発見者なのだ。
今日はパンを買って帰ったから、明日の午前中は机を金の包み紙だらけにしなくて済む。
やり方下手なんじゃないの~?
いま静岡から逃げようと必死だ
大学時代はワタシには些か楽しすぎたのかも
そんなあなたには楽しすぎるからダメです!なんてこと多分ないのになあ
12月くらいから、「なぜ社会に出ねばならぬのか」「本当にせかせかと週5で働く必要があるのか」「なんでみんな律儀にやってるのか」「ずっと友達と暮らしていたいし毎日こんなに楽しいのに何故みんな当たり前のようにサヨナラしてくのか」などなど頭がグルグルしていました
めんどくさいって思われたくないし、正直ガッカリするのはわかってるから、自分が問われたとき以外は後輩ちゃんたちにこういう話はしないんだけど
思わずこの内のひとつをなんでなのかな?って言ってみたら
「お、病んでるんすか~?」「働いてたまに戻ってきたらよくないですか?」という答えが返ってきました(二人いた)
すっごいウワーーーーッってなっちゃって、や、その場ではなってないけどね
私は生活の軸が仕事になるのが嫌なんだよ~っ!
生活の中にしか幸せはないんだぞ~っ!
っとおどけながら本質情報を叫んでおきました
だからなんだか、元々そのつもりだったけど、改めて、静岡は四年間のユートピアを作るための場所だったのだ、と頭の中でとなえて
どうせ4月から働くのだし、上手に切り替えをしなくてはいけないなあ、いや正確にはあんまり未練を残していっちゃいけないなあという気持ちでいる
だから静岡での予定は既にあるの以外いれないようにしたり、部屋でもずーっと音楽きいてたり、東京で新しい友達つくる活動をやっていたり、する
これなんの意味があんのかなあ~
お別れに向き合うと必ずちょっと泣いちゃうからあんまり考えないようにしてる
あ、わかった、こんなにみんなのことを好きなのは私だけなのかもしれないという思いがこうさせているっぽいなあ
私はワクワクと待ってた予定を相手は忘れてたり、ってことしょっちゅうしょっちゅうあるからさ
あれって、リアクションは上手になるけど、本当のところいつまでも慣れないよねえ
私、新しいところで友達をつくるのは多分上手だけど、今回はなんだかこう、あんまりうまく足を踏み出せない感じがしているよ
なぜなのかなーわからない!
薄々お気付きであられようかとおもいますが、無限に気持ちを書くブログですこれは!ダイエッターアンじゃないので、全然推敲もしてないです、仮想敵の居ない口語って読みにくいですね、まあ私はどんな私の文章も結構すきだけど
眠れなくておもわずふたつもあげちゃった、胃が空っぽで気持ち悪いしもーほんとに虚無虚無プリンちゃんです!
読んでくれてありがとうございます、誰かが読んでくれたからこの時間も無じゃないね~Love!
私のファンだけ読んでください👏
どうしても敗けたくないのだ
自意識に、或いは冬に殺されそうになっている。
社会にありふれた相対的幸福たちに屈服したくない気持ちがあまりにもつよく、苦しい
必要性から生まれた友情と、ただ目の前にあったコンテンツに囲まれて、刷り込みを刷り込みとも思わず自分の一部にしていって、そうしてなんとなくふわふわ生きて、私のような人間のことなんて視界にも入っていない人たちがいる。
本能で、順応して、疑問を持たず、生きている。
そういう人々に囲まれてこれからもずっと生きてゆかねばならぬこと、そうあるべし、な世界であること
私にもそういう部分が多々あるであろうこと
ぜんぶ気持ちが悪くてゲロゲロだ
こういう気持ちを飲み込める人のことを"大人"というのかな、とずっと思ってきたが
これも自分は子供だから……という免罪符のための思想かもしれないな
でも、だって、違和感があるものを受け入れると自分の中の何かが死んでゆく、たしかに死んでゆくから
ただでさえ全然ない自信が、崩壊どころかそもそも形成され損ねたアイデンティティが、揺るがされるのが怖い
大学でちゃんとやっていたのだ、順応てやつを、やっていたつもりだった
でもダメだった、足りなかったみたいで、静岡でたくさん一緒に過ごしてきた好きな人たちのことを心のどこかで見下している。見下してしまう瞬間がある。たくさんある。本当に好きなのに。
ただ羨ましいだけなのかなあ
大学1年生のときの日記が出てきた。
たくさんの個人名が書いてあった。すごく切実で、歪んでるところもあったけれど自分に嘘をついてなかった。良い文章だった。
だからね、一昨日から日記をつけてみてるんだけど、誰に読ませるわけでもないのに個人名が書けないし、誰かに読まれてもいいようなことしか書けなくなっていた。
自分について考えるとき、核心に近づいてるな、とおもうと、自問自答なのに、誰かと話してるわけでも誰かにばれるわけでもないのに絶対にフワっと何かを避けて、ちがうちがう!といっている
ただただ心の弱いだけのダメ人間だということにまで向かい合わなくてはならないとなると、きっと耐えられないから。
輪郭のぼやけた何かと、ずっとずっと、闘っている
いま苦しいのはなんでかなあ
上のことたちと関係あるような気もないような気もする
正直ほんとにわかんない、だけどなんとなく逃げたらいけない気がしてそしたらどんどん苦しくなってきちゃった
わたしは絶対つよいと思ってたし、優勢のつもりでいたんだけど、ちょっと敗けちゃうかもしれないなあ
応援メッセージ、待ってます、とほほ……